日本乳酸菌学会誌Vol.28 No.2に掲載された「伝統発酵食品中に築かれる細菌叢の変遷と多様性」という論文の内容をわかりやすく解説します。これは石川県立大学 生物資源環境学部 食品科学科 食品微生物学研究室に所属する小栁氏が発表したもので、日本における伝統的な発酵食品に含まれるバラエティ豊かな細菌叢を、最新の解析技術によって解明しようという研究のデータです。
日本では昔から数多くの発酵食品が作られており、その製法は経験的伝承によって発展してきました。にもかかわらず、微生物の存在さえ確認されていなかった太古の昔から、特定の微生物を優勢化させるノウハウが培われてきたのです。
この論文の筆者、小栁氏の住む石川県では、仕込みに米麹を用いる「かぶらずし」、能登地方の「なれずし」といった数多くの伝統発酵食品が作られています。今回の研究では、この石川県の発酵食品を中心に、最新の解析方法によって得られた細菌叢に関する情報がまとめられています。
発酵調味料によって支えられる日本食文化の中でも、石川県を含む北陸地方の発酵食品文化は、ひと際異彩を放っています。金沢市 大野の醤油造りにはじまり、手取川や犀川の清流によって醸成される加賀の菊酒、伝統的魚醤油「いしる」、加賀の「かぶらずし」、「大根ずし」、能登の「なれずし」、魚糠漬けの「こんか漬け」など、水産物を材料にした発酵食品が充実。その中でも、白山市美川地区で作られている「フグ卵巣の糠漬け」は、1年間の塩漬け、2年間の糠漬けによって、フグが持つ猛毒、テトロドトキシンを消失させてしまうという世界的に珍しい食品です。
昨今目覚ましいスピードで進行する様々な生物種の全ゲノム解析や、環境微生物および腸内細菌叢の解析において、次世代シークエンス法が大活躍している。単離培養法によって培養可能な菌体を一株ずつ同定して存在する微生物の全体像を予測していた時代はほぼ終焉し、あらゆるサンプルから直接抽出した混合 DNA の中から細菌・真菌のリボソーム RNA 遺伝子(rDNA)を特異的に増幅して一斉解読する本法が一般化しており、発酵食品の菌叢解析にも適用可能である
こうした最新の解析方法を用いて、発酵食品中に含まれる菌の遺伝子をまとめて解析。発酵食品の細菌叢解析における次世代シークエンス法の適用は報告例が少なく、未解明のままになっている新たな知見を見付けるべく、今回の研究は行われました。
発酵食品の分類方法にはいくつかの方法があります。そのうちの一つ、原料によって分類す る方法では、
ヨーグルトやチーズのような乳発酵食品、欧州の発酵ソーセージ、東南アジアの肉類の発酵ペーストなどのような畜産発酵食品、日本の野菜漬物、欧州のザワークラウト、納豆のような農産発酵食品、そしてアジア地域の魚醤油、塩辛類、なれずしなどに代表される水産発酵食品に大別できる
上記のような分け方ができますが、複数の原料を混ぜた中間的分類の食品も存在します。他にも塩分濃度によって分類する方法なども有効だと考えられていますが、やはり重要なのは微生物による分類です。
発酵食品の製造に関わる微生物のうち重要な役割を担うものとしては、取りも直さず乳酸菌、酵母、酢酸菌などが挙げられる。主にアジア世界の食品では、穀物を中心媒体として生育する麹菌がここに加わる。それぞれの菌が果たす役割の大きさには食品ごとにバラエティがあり、乳酸菌の果たす役割が多い食品として漬物や発酵乳、酵母が果たす役割が大きいものとしては各種の酒類やパンが挙げられよう。また、これらの微生物は互いに排除し合うばかりでなく共存する場合もあり、海外ではケフィアやランビック、わが国では日本酒の酒母(もと)や醤油、味噌にみられるように、乳酸菌と酵母などの複数種が発酵過程において同時に活躍する。麹菌、乳酸菌、酵母、酢酸菌までもが同一槽内で活動する福山酢における微生物間相互作用についても精力的に研究が行われている。
こうして生育する微生物に着目して発酵食品を見てみると、多くの発酵食品は何らかの菌叢変遷を経てから、主発酵微生物群が優勢化して発酵工程が完成するという特徴を持っていることがわかります。
この最終的に優勢化する菌種については明らかにされてきましたが、どのような微生物叢の変遷を経て最終的な細菌叢にたどりついたのかは明らかにされていないものも多いというのが現状です。
発酵初日、細菌叢の殆どを占めていたのは Bacillus 属やStaphylococcus属といった芽胞菌やブドウ球菌です。これらは米麹中に多く存在していた菌であると考えられますが、2日後にはLactobacillus 属乳酸菌が顕著に検出されるようになり、その後は劇的に増加。8日後には、全体の90%がLactobacillus属になりました。さらに、このLactobacillus属の90%あまりを占めていたのがLactobacillus sakeiであり、かぶらずしの乳酸発酵を特徴づけているのがこの菌であると示唆されたのです。
「なれずし」も、かぶらずしと同じく、魚介類と穀物を混ぜて発酵させた伝統寿司。しかし、冬に作られるかぶらずしとは対照的に、なれずしは真夏の暑い時期を経て仕込まれ、40日以上の発酵期間を経て作られます。
細菌叢はかぶらずし同様にLactobacillus属により占有されましたが、発効前期ははLactococcus属やLeuconostoc属が顕著に検出され、発酵後期にはPediococcus属が検出。Lactobacillus 属の主な内訳はLactobacillus plantarum、paraplantarum、pentosus、Lactobacillus brevisだったが、製品によってはLactobacillus acidipiscis、Pediococcus
ethanolidurans、Lactobacillus sakeiが優勢なものも。どのなれずしも90%以上を乳酸菌が占めるという点は共通だったものの、菌種レベルでは製品によって大きな差がありました。
日本以外にも、アジア各国で数多くの水産発酵食品が作られています。ここで紹介しているのは、カンボジアの水産発酵食品「タクトレイ」(魚醤油)、「プラホック」(淡水魚の塩辛ペースト)、「カピ」(小エビの塩辛ペースト)における生菌の分布。
分離された菌種からはClostridium属やBacillus属といった芽胞菌類、Staphylococcus属細菌などが多くみられ、耐塩性・好塩性乳酸菌であるTetragenococcus属も生菌として存在していましたが、いずれも最優勢菌種として乳酸菌は検出されませんでした。
これらカンボジアの発酵食品にはさまざまな有機酸が混在しており、特に酢酸濃度が高いという傾向が見られました。
清酒づくりにおける伝統的な酒母である山廃もとでは、Leuconostoc mesenteroidesとLactobacillus sakeiの生育が顕著。石川県の酒造メーカーでは山廃形式の清酒が多く製造されており、それらに対して上記と同様の解析を実施しました。
酵初期には、従来から定説とされてきたPseudomonas属に代表される硝酸還元菌ではなく、乳酸桿菌(Lactobacillus acidipiscis)の存在が顕著に検出。発酵過程の細菌叢にゆらぎがあることが示唆されましたが、最終的にはLactobacillus sakei優勢の細菌叢に落ち着きました。
過去にはLeuconostoc属細菌のみが最後まで優勢を保つ酒母や、L. mesenteroidesに代わってLeuconostoc citreumが優勢になる酒母も報告されていますが、乳酸菌のバランスによって酒母の質も変わってくると考えられるので、こうした細菌叢の違いも、清酒の風味を考える上で重要な要素だと言えそうです。
発酵の初期段階においてスターターを摂取しない場合、環境中の微生物などに汚染された影響が残っているため、発酵後期よりも多種の微生物が存在しています。これまでのデータが示す通り、最終的には優勢菌種への収斂に導かれていきますが、ここでは、その過程で起きる細菌叢の変遷について調査しています。
このデータは、イカの内臓を使って様々な塩分濃度で仕込んだ模擬的な魚醤油を解析したもの。発行開始後9日目、塩分濃度によってさまざまな細菌が存在しており、その傾向は塩分濃度によって異なります。しかし、仕込みをしてから47日後には大部分が耐塩性・好塩性をもつStaphylococcus属細菌とTetragenococcus属乳酸菌に収斂していきました。
この結果からも、発酵初期は仕込みの条件によって変化するものの、最終的にはは単純な菌叢に収束していくということが見てとれます。
管理人:蝶野ハナ
乳酸菌と人との関係、菌株ひとつひとつの個性、数多くの研究データ……乳酸菌って、知れば知るほどスゴいんです。私たちにとって最も身近な細菌について、もっともっと深く知りたくないですか?